#2
戸塚愛美
二〇二四年三月十六日、都内某所にて週刊戸塚思想の創刊記念イベントが開かれた。集ったのは、アーティストからカメラマン、リサーチャーから、デザイナー、表現や思想を土台とする数名の小さな会。無論、詩人も。おだやかな春の午後をともに過ごし、おだやかな時間だった。戸塚思想は、戸塚が言い出しっぺではないということを補足したい。そして小さなコレクティブとなったことを読者に伝えたい。徹底的な草の根。ギリシア哲学者の葛藤を横目に見ながら、追従しない。曖昧さを内包しつつ、極にはいけないと知りながら、極にいないことの知と恥をとなりあわせに、ただ書く。圧倒的に無目的で無意味な現実に意味を与えかねない楽しい日々をありがとう。果たしてこれは思想か、と言われると、おそらく読者は人文学的な巨大な知の混沌たる渦を、丁寧に紐解いて、理路整然と名づけをし、住所を与えるような知的作業たるものを思い出すかもしれない。思い出していただいた上で、代替可能性を考えてみよう。
複雑化したグローバル社会は、多くの問題を孕んでいて、それはもう当たり前の、言葉にするまでもない話で。制度が暴走する資本主義の病、少数民族のあり方や終わらない戦争。地球が悲鳴をあげている地質学的や環境問題。差分を理解しようと進められる共生社会の倫理。
歴史が証左となる/なった、今・ここ、という現在地。ひとつ言うならば、それでも同じ星で暮らしている。細分化して語ることを求められる今、あえて大雑把に行こう。これはとある友人がくれた言葉。
『同じ星だからね』。星は同じよ。星。宮澤賢治的に言いたいわけではないし、カントの倫理をひっぱるわけでもない。偉大な発明は絶えず、想像と実践の中から引き起こされる。
思想(二)
カニエ・ナハ
〈ハンナ・アレン〉と戸塚が記して
戸が無い、塚に佇んで
ハンナ・アレン氏はホロコーストについて
書きあぐねている
もしくは考えあぐねている
あつかいあぐね
あぐねている
あぐねている
そのあいだにも
無数の思想が
いままさに、
石鹸にかたちをかえていくところ