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2024年03月21日発行

#2

戸塚愛美

二〇二四年三月十六日、都内某所にて週刊戸塚思想の創刊記念イベントが開かれた。集ったのは、アーティストからカメラマン、リサーチャーから、デザイナー、表現や思想を土台とする数名の小さな会。無論、詩人も。おだやかな春の午後をともに過ごし、おだやかな時間だった。戸塚思想は、戸塚が言い出しっぺではないということを補足したい。そして小さなコレクティブとなったことを読者に伝えたい。徹底的な草の根。ギリシア哲学者の葛藤を横目に見ながら、追従しない。曖昧さを内包しつつ、極にはいけないと知りながら、極にいないことの知と恥をとなりあわせに、ただ書く。圧倒的に無目的で無意味な現実に意味を与えかねない楽しい日々をありがとう。果たしてこれは思想か、と言われると、おそらく読者は人文学的な巨大な知の混沌たる渦を、丁寧に紐解いて、理路整然と名づけをし、住所を与えるような知的作業たるものを思い出すかもしれない。思い出していただいた上で、代替可能性を考えてみよう。

複雑化したグローバル社会は、多くの問題を孕んでいて、それはもう当たり前の、言葉にするまでもない話で。制度が暴走する資本主義の病、少数民族のあり方や終わらない戦争。地球が悲鳴をあげている地質学的や環境問題。差分を理解しようと進められる共生社会の倫理。
歴史が証左となる/なった、今・ここ、という現在地。ひとつ言うならば、それでも同じ星で暮らしている。細分化して語ることを求められる今、あえて大雑把に行こう。これはとある友人がくれた言葉。
『同じ星だからね』。星は同じよ。星。宮澤賢治的に言いたいわけではないし、カントの倫理をひっぱるわけでもない。偉大な発明は絶えず、想像と実践の中から引き起こされる。

思想(二)

カニエ・ナハ

〈ハンナ・アレン〉と戸塚が記して
戸が無い、塚に佇んで
ハンナ・アレン氏はホロコーストについて
書きあぐねている
もしくは考えあぐねている
あつかいあぐね
あぐねている
あぐねている
そのあいだにも
無数の思想が
いままさに、
石鹸にかたちをかえていくところ

2024年03月14日発行

二〇二四年三月十四日 #1

戸塚愛美

思想。思惟の上に。書いて世に出すことを習慣化せよ、ということで週刊の、スパルタ思想家道場の門戸を喜んで叩いてしまったのは、数週間前。信用ならない肉体を忘れたままにしておきながら、夜な夜なキーボードを叩いて朝は夜に、夜は朝に。道場は野暮だけれど、道場肌なのは、育ちのせい。うそだ。ともすれば、カントやらドゥルーズやらを引っ張り出して、上書きすればいいはずだ。ちがう。太宰治、知里幸恵、小林多喜二。ときどき木戸秋。ついでになんだろう、ハンナ·アレンとでもいおうか。サバンナの象のうんこよ聞いてくれ、とでも言おうか。言おうか、という問いかけに対していうならば『べつに言わなくてもいい』。それで、なにをいうというのか。

遊びの上手いひとがいる。遊びの上手い人は、上手い遊びを思いつく。大きく出た。遊びのうまさには、寛大さと、海の水がお酒のように美味しく飲めるみたいな、酔狂のような、強靭な胃しかり肉体があるような、ないような、春みたいな、夏みたいな、秋みたいな、冬みたいな、心が必要。

その点、最近のわたしは無駄に神妙だ。お笑いにならない。逃避にも聞こえない。大きなことを言わないでいいと気が抜ける。とたんに何もいえなくなるあたりのリアリティ。戸塚思想。この習慣は、小さく、なるべく些細に、ときに大胆に、繰り返し、混ぜ返し、自らの足で立つ小さな営み、すなわち芸術に、必要な時間の虫食いを担っていただく心づもり。ところで心づもりというのは、漢字で書くと「心算」というのだから面白いね。心まで管理しようとしていて、人間はどこまでも素晴らしい。
本質をつく、というのはどういうことか。人間の合理主義は多かれ少なかれ、コスパだろうが、タイパだろうが、現実の問題と背中合わせで、前を進むように促される。いずれも変化することを求められる。このとき、人のやさしさとか、思いやりとか、そういう態度が重要だと、敬愛するチャップリンが独裁者という映画で言っていて、言っていてというのは、解釈した上でだが、美しい。美だと思う。勇気凛々が阿保に見える精神状態ではじめよう。それで、鑑賞の態度が固定された不自由で希有な展示で脱走を試みた、おおらかな詩人の遊びの余白を拡張しよう。行ったり来たりしよう。火に触れるみたいに、自由に。

思想としてエスタブリッシュメントするには、なるべく長生きが必要とのことで、枯渇しない精神を鍛えるには人と関わることよ、と過去の自分がささやく現在地。読者には時間を。貧血ぎみの私には、プロテインを。詩人には、余白を。


ロゴについて:
敬愛するデザイナーがロゴをつくってくれたが、その心は、というと、

「思想という漢字にふたつ付いている心は、思想の漢字そのままだと、心が潰れてみえてしまいます。なので、田+心・相+心で思想の漢字を新たにつくりました!この思想の心はなにもつぶしたりしていません。つぶれてほしくなかったからです。」

思想(一)

カニエ・ナハ

「十二月になったら思想家になる」と戸塚が言った十一月の声を思い出していた
さっきファミマの向かいの未だ微か香ってる沈丁花の生垣のところ無数の鳥の囀りがして
ちょっとデモに行ってくる、と云って木崎さんはそれきりもどって来なかった
知ろうとしてるうちに知ってることが知らないことになるリモコンが見当たらない
おなかが戦争みたいに痛い